不正乗車は鉄道事業者の収入減少だけではなく、正しくきっぷを購入している利用者の不公平感もあるため重大な課題です。
このページでは、不正乗車の解決策として挙げられる信用乗車方式について考えていきます。
はじめにJR九州の初乗りきっぷ販売停止について紹介し、不正乗車に対するペナルティの法令上の制限や日本で信用乗車方式を導入するにあたっての課題を見ていきます。
目次
初乗りきっぷと不正乗車
JR九州では2023年の7/22~8/10にかけて、小倉駅の自動券売機で初乗り運賃(170円)のきっぷの販売を停止しました。
期間中は170円きっぷを購入する場合には、SUGOCAなどのICカードを使うか窓口で乗車券を購入する必要がありました。
この件についてJR九州の社長が記者会見を開いています。
小倉駅から170円きっぷで行けるのは隣の西小倉駅だけであり、小倉駅で1日平均300枚売れた170円きっぷが西小倉駅で30枚しか回収されていなかったそうです。
そして、券売機での発売を中止すると窓口での購入は1日30枚に落ち込んだそうです。
自動改札機がある小倉駅を一番安い170円きっぷで入場し、遠方の無人駅でそのまま降りる不正乗車(キセル)に使われた可能性があるとのことです。
出典:不正乗車が多発…JR小倉駅で初乗り切符の券売機販売、一時停止 毎日新聞(2023/7/28) 2023/8/17閲覧
JR九州に限らず鉄道各社では駅の営業時間の短縮や無人化を行っており、利用が少なく人件費をまかなえない駅の省力化を行っています。
その副作用として、駅で改札が行われていない状況を悪用した不正乗車が横行しています。
このような不正乗車の対策として信用乗車方式が挙げられることがあります。
信用乗車方式は、公共交通機関において駅や車内で全員に一律改札を行うのではなく、抜き打ちで検札を行ってその際に正当なきっぷを持っていない場合に問答無用で高額な割増運賃(場合によっては罰金)を徴収する料金徴収制度です。
しかし、日本の鉄道で信用乗車方式を導入するにあたっては割増運賃の金額に法的な制約があります。
ここからは、不正乗車に関するルールを法令の観点から見ていきます。
不正乗車のペナルティに関する法令
不正乗車に対する罰則は鉄道会社が自由に決めて良いわけではなく、法令による制約があります。
鉄道営業法における罰則
鉄道会社の営業に関する規則を定めた法律に鉄道営業法があります。
鉄道営業法第29条では以下の場合に旅客を罰金または科料に課すとしています。
・有効な乗車券を持たずに列車に乗車したとき(例:入場券で改札に入り、きっぷを買わずに列車の中に入る)
・乗車券に記載の車両よりも優等の車両に乗車したとき(例:普通車のきっぷでグリーン車の車内に入る)
・乗車券で指定された駅で降りない(例:東京→静岡のきっぷで乗車して静岡駅で降りずに浜松駅まで向かう)
このような場合、2万円の罰金が課せられることになっています(金額については罰金等臨時措置法第2条で修正)。
ただし、罰金は鉄道会社ではなく国に納める刑罰であり、あくまで鉄道会社に訴えられたときの刑事上の責任になります(鉄道営業法違反は親告罪)。
不正乗車をした乗客に対して請求する割増運賃は民事上の責任になります。
こちらについては、法律ではなく国土交通省の省令として国が規定を定めています。
鉄道運輸規定における割増運賃
不正乗車に対する割増運賃については、旧鉄道省の省令である鉄道運輸規定や軌道運輸規定に定められています。
鉄道運輸規程第19条や軌道運輸規定第8条では、不正乗車や検札拒否に対して2倍の割増運賃(元々払うべき運賃を含めて3倍)を請求すると定めています。
この規定があるため、不正乗車があってもこれ以上の割増運賃を請求すると鉄道会社側が法令違反になります。
このため、近距離の乗車券では高々数百円程度の運賃なので、不正乗車が発覚して割増運賃を支払っても数百円から千円程度にしかなりません。
法令上の制約のため、3回に1回以上とがめられない限り、不正乗車をする方が金銭的に得をする状況にあります。
そこで、鉄道会社では監視カメラなどにより常習犯を特定し、民事上の請求である割増運賃ではなく、鉄道営業法違反や建造物侵入罪(不正目的で駅に無断侵入)による刑事事件として警察官に逮捕してもらうなどの措置を行っています。
しかし、この方法で不正乗車を減らすには限界があります。
海外で信用乗車方式を導入している公共交通機関では、数千円から数万円程度の罰金または元の運賃の数倍~数十倍の割増運賃が設定されています。
日本では割増運賃の上限が極端に制約されているため、信用乗車方式を導入しても罰金による抑止効果がほとんど期待できません。
日本における信用乗車方式導入と課題
改札を行わない信用乗車方式は、法令上の制約があるため日本ではあまり普及していません。
日本で信用乗車方式に近い運用がなされている事例として、広島電鉄の路面電車の事例があります。
以下では、広島電鉄の事例についてごく簡単に紹介した上で、信用乗車方式導入のもう一つの課題であるのりこし精算についてふれていきます。
広島電鉄の(事実上の)信用乗車方式
広島電鉄では、2018年5月から「ICカード全扉乗降サービス」という名称で事実上の信用乗車方式を導入しています(対応車両限定)。
この方式では、ICカード所持者限定で全ての扉から乗降することができるもので、現金等で精算が必要な場合は運転士横から降りる必要があります。
各停留所で路面電車のドアを全て開くことで乗降時間を短縮する効果がありますが、きちんと運賃を支払わないまま下車してしまう不正乗車が一定数出てきます。
広島電鉄が録画したビデオ映像で無作為に6000人を調べた所、信用乗車方式を導入した2018年の7月には約0.8%、11-12月には約1.1%が不正乗車をしたようで、年間約6千万円の減収になるそうです。
(出典:【広島電鉄】信用乗車制度を試験導入→1日150名が不正乗車するようになったという話 鉄道プレス 2023/8/17閲覧)
信用乗車方式における不正乗車
日本では割増運賃の上限が低く制限されるため、罰金による不正乗車抑止効果に限界があります。
それでは、高額な割増運賃(罰金)さえ導入すれば不正乗車問題は解決するのでしょうか?
信用乗車方式を採用している海外の公共交通機関でも不正乗車が問題となり、様々な調査・研究がなされています。
たとえば、欧米18都市のライトレールの不正乗車率と検札実施率を調べた例では、1-25%の割合で不正乗車が行われていました。
表 欧米18都市のライトレールの不正乗車率と検札実施率
出典:L. Dauby and Z. Kovacs, Fare Evasion in Light Rail Systems, Transp. Res. Circ. p230-247 (2007)(全文)
都市 | 国 | 不正乗車率(%) | 検札実施率(%) |
アムステルダム | オランダ | 1-19 | 0.54 |
ブリュッセル | ベルギー | 5-19 | 1 |
クロイドン | イギリス | 2-6 | 5-10 |
イェーテボリ | スウェーデン | 2-10 | 1.3 |
マンチェスター | イギリス | 2-6 | 14 |
ポルト | ポルトガル | 1-4 | 5.4 |
ルーアン | フランス | 1.5-6 | 2.64 |
シュトゥットガルト | ドイツ | 3-10 | 1.6 |
ハーグ | オランダ | 5-25 | 3-4 |
ブダペスト | ハンガリー | 10-12 | 2.5 |
ミラノ | イタリア | 8-12 | 5 |
ザールブリュッケン | ドイツ | 2-10 | 2 |
ベルリン | ドイツ | 4-5 | 1.6 |
モンペリエ | フランス | 2-15 | 4.1 |
ケルン | ドイツ | 4.2 | 0.8 |
デュッセルドルフ | ドイツ | 2 | <2 |
チュニス | チュニジア | 11 | 3 |
ソルトレイクシティ | アメリカ(ユタ州) | 2.5 | 8 |
この調査結果の数値には幅があることに注意して下さい。
たとえば、アムステルダム(オランダ)の公共交通機関の不正乗車比率は1-19%ですが、具体的には車掌がいるバスが1%、車掌がいない路面電車(トラム)が9.8%、地下鉄が19.3%でした。
車掌がいない定員が大きな交通機関の方が不正乗車の比率が高くなるようです。
不正乗車の割合は法律や運用の違い、不正乗車の扱いなどによって変わってきます。
環境が大きく異なるため広島電鉄の数字と単純に比較することはできませんが、信用乗車方式を導入して高額な割増運賃(罰金)を導入したとしても、不正乗車問題はついて回ることがわかります。
のりこし精算という課題
信用乗車方式を導入する課題は割増運賃(罰金)の上限だけではありません。
のりこし精算をどう扱うかという課題もあります。
のりこし精算とは、手持ちの乗車券の有効範囲を超えて遠方の駅まで移動し、到着駅で差額を支払うことです。
のりこし精算は広く行われている行為ですが、途中から有効なきっぷを持っていないため。鉄道営業法や鉄道運輸規定の文面を見る限り、割増運賃や罰金を請求できるような行為です。
しかし、現実には券売機のない無人駅の存在や悪意のない乗り過ごしや目的地変更が頻繁に起きるため、JRなどの鉄道事業者はのりこし精算を運用上認めています。
そのため、無人駅や列車内で臨時検札を行った際にその乗客が不正乗車であることを見抜く(確証を得る)ことは難しい問題です。
なお、当サイトは犯罪行為を推奨するつもりは無いので付け加えておきますが、不正乗車のパターンはある程度決まっているため、怪しい乗客をマークすることはできます。
無人駅でも防犯カメラによる不正乗車の監視が行われており、常習犯の不正乗車の証拠を積み重ねて警察と協力して鉄道営業法違反などで逮捕する場合があります。
参考文献
不正乗車が多発…JR小倉駅で初乗り切符の券売機販売、一時停止 毎日新聞(2023/7/28) 2023/8/17閲覧
「300枚売れるのに30枚しか回収されない」170円の乗車券 JR九州が券売機での販売を中止 RKBオンライン(2023/07/27) 2023/8/17閲覧
「小倉駅から170円区間」不正問題、実態と対策は - JR九州に聞いた マイナビニュース(2023/08/06) 2023/8/17閲覧
西川 健「信用乗車方式と割増運賃制度について」 運輸政策研究 10(2) p2-6 (2007)
鉄道営業法 ウィキペディア 2023/8/17閲覧
鉄道営業法 e-GOV法令検索 2023/8/17閲覧
不正乗車は逮捕される? キセル乗車の概要などを新宿の弁護士が解説 ベリーベスト法律事務所新宿オフィス 弁護士法人VERYBEST 2023/8/17閲覧
罰金等臨時措置法 e-GOV法令検索 2023/8/17閲覧
Penalty fare, Wikipedia 2023/8/17閲覧
鉄道運輸規定 e-GOV法令検索 2023/8/17閲覧
軌道運輸規程 e-GOV法令検索 2023/8/17閲覧
電車のご利用方法:乗車方法|電車情報|広島電鉄 2023/8/17閲覧
広電、全扉降車スタート 5月10日から路面電車の一部 定時運行や利便向上図る(2018/4/20) 中国新聞デジタル 2023/8/17閲覧
【広島電鉄】信用乗車制度を試験導入→1日150名が不正乗車するようになったという話 鉄道プレス 2023/8/17閲覧
L. Dauby and Z. Kovacs, Fare Evasion in Light Rail Systems, Transp. Res. Circ. p230-247 (2007)(全文)
L. Brotcorne et al., Fare inspection patrols scheduling in transit systems using a Stackelberg game approach, Transp. Res. B: Methodol. 154 p1-20 (2021)(全文)
Jason Lee, Uncovering San Francisco Muni’s Proof-of-Payment Patterns to Help Reduce Fare Evasion, Transp. Res. Rec. 2216(1) p75-84 (2011)(全文)
無人駅での不正乗車はすぐに見抜かれる 株式会社アルコム 2023/8/17閲覧
恵 知仁「なぜ不正乗車を「キセル」というのか? キセルで書類送検のアイドルファン 請求額は…」乗りものニュース(2021/1/20) 2023/8/17閲覧