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養蚕と絹織物

高級な繊維である蚕(かいこ)という虫が吐き出す糸を原料として生産されます。
蚕を飼育して絹糸を生産することを養蚕(ようさん)といい、近代の日本では重要な産業でした。
ここでは、養蚕と絹織物について歴史的経緯から解説します。

本ページでは虫に関する話題を取り扱いますが、虫の画像は一切掲載しておりません。

養蚕(ようさん)とは

カイコガ(蚕蛾)の繭から作られた生糸(きいと)(中国東部・江蘇省蘇州市)。この写真は古くから養蚕・絹織物の生産の中心地であった上海近郊の蘇州市で撮影されたものである。生糸は絹織物の繊維原料であり、絹織物は古代から重要な交易品であった。明治時代~昭和時代前半までは日本の重要な輸出品目であったが、石油由来の化学繊維の普及により現在では需要が減少している。出典:Wikimedia Commons, ©Kuebi = Armin Kübelbeck, CC BY-SA 3.0, 2023/8/8閲覧

養蚕(ようさん)とは、カイコガ(蚕蛾)の幼虫(蚕(かいこ))が繭を作るときに吐き出す糸を原料として絹糸(きぬいと、けんし)を生産することです。

紙に植えつけられたカイコガの卵を孵化させ、クワ(桑)の葉をエサに与えて幼虫を育て、繭(サナギの状態)を作らせます。
この繭1個1個から絹糸を取り出します。
はじめに蚕の繭を熱湯で殺虫すると同時に糸をほぐしやすくします。
次に糸の端を見つけてそこを起点に解きほぐして糸を巻き取っていきます。
巻き取った糸を数本ずつ束ねて巻きつけることで1本の糸(生糸(きいと))にまとめあげます。
生糸をアルカリ性の薬品で処理することでやわらかくて光沢のある練糸(ねりいと)を生産します。
このようにして作られた生糸や練糸を原料として絹織物が作られます。

養蚕は歴史的には高級な絹織物を生産するために重要な産業でした。
しかし、絹の着物1着を製造するために約5,000匹の蚕が必要になり、非常にコストがかかります。
そのため、現代ではプランテーションによる大規模栽培が行われている綿と比べて絹はマイナーな繊維原料となっています。

養蚕とクワ(桑)の栽培

高さ数mに仕立てられたクワ(桑)の木(福岡市)。クワの葉は養蚕に必要なカイコガ(蚕)の唯一のエサであるため、養蚕のために各地で栽培されていた。近年では化学繊維の普及により養蚕の需要が低下し、クワの栽培も減少している。出典:Wikimedia Commons, ©そらみみ, CC BY-SA 4.0, 2023/8/7閲覧

養蚕では蚕の飼育と同時にクワ(桑)の栽培がセットで行わます。
蚕はクワ(桑)の葉しか食べないので、クワの栽培が養蚕に必要不可欠です。
そのため、クワはそれ自体が繊維原料にならないにも関わらず繊維作物に分類されます。
クワという名前自体、蚕が「食う葉」が由来であるという説があるくらいです。

養蚕と絹の歴史・交易

養蚕の歴史は古く、インドや北米でもその土地に生息する繭を作る蚕と似たような虫を飼育して養蚕が行われていました。
しかし、最も養蚕が発展したのは中国です。
中国での養蚕の歴史は古く、紀元前11世紀以前から養蚕による絹の生産が行われていました。
中国は当初、養蚕の技術を独占するために蚕やその卵の輸出を厳罰化する一方、絹はシルクロード(絹の道)とよばれる交易路を通して各地に輸出していました。
しかし、次第に養蚕の技術や蚕の卵は交易路を通して流出し、各地で養蚕が行われるようになりました。

シルクロード(絹の道)

1世紀ごろのシルクロード(絹の道)の主要な経路。このルートは中国で生産される絹織物をインドや中東などに輸出するのに使われた交易路である。絹織物以外にも様々な物品・人が東西を行き交った。出典:Wikimedia Commons, ©Kelvin Case, CC BY-SA 3.0, 2023/8/8閲覧

紀元前2世紀から15世紀なかばまで使われていた中国から中央アジアを経てイラン北部、東地中海沿岸に至る交易路シルクロード(絹の道)とよびます。
シルクロードの名前は、中国でしか生産されない重要な交易品である絹織物に由来しています。
シルクロードでは様々な物品や人々が東西を行き交いました。
中国からは絹、、陶磁器、インドからは香辛料、象牙、織物、宝石、ローマ帝国からはガラス製品、ワイン、カーペットなどを輸出しました。

養蚕の広がり

当初は養蚕の技術や蚕の卵を中国が独占していましたが、やがてシルクロードを通って中東や地中海沿岸などに広がっていきました。

9世紀から11世紀にはイタリア各地にも養蚕や絹織物の生産が伝わり、中世にはイタリア南部を中心に盛んに生産されるようになりました。
近代にはミラノ(イタリア北部)やリヨン(フランス南東部)、パターソン(米国北東部・ニュージャージー州)などで絹産業が発展しました。
しかし、19世紀中頃に蚕の病気がヨーロッパで流行し、絹産業は大きなダメージを受けました。

同時期の日本では、幕末の開港により生糸を輸出できるようになり、明治維新後には養蚕の急速な機械化・近代化が進みました。
この時期に急速に生糸の輸出量が増加し、20世紀初頭には世界の生糸生産の60%を日本が生産するようになりました。

しかし、第二次世界大戦開戦により日本と戦争状態に陥った欧米諸国は日本から生糸を輸入できなくなりました。
一方で同時期に高分子化学の技術が発展し、1935年には米国デュポン社のカロザース(Wallace Hume Carothers)が世界初の化学繊維(化学合成により生産される繊維)であるナイロン(Nylon 6,6)を発明しました。
技術革新と同時期に日本からの生糸の輸入が止まるという状況も相まって、絹の代替としてナイロンをはじめとする化学繊維を使用するようになりました。
そして、戦後になっても絹織物の需要は戻りませんでした。
日本の輸出量は戦後一時期回復しましたがやがて減少に転じ、現在では日本で絹の生産はわずかにしか行われていません。

現在の絹の生産国

現代では中国が世界全体の絹の生産量の半分程度を占めています。
地域としては中国東部海沿いの山東省~上海近郊の江蘇省・浙江省~南部の広東省が養蚕産業の中心です。
その他の絹の生産量上位の国は、インド、ウズベキスタン、ブラジル、イランです。

日本の養蚕

富岡製糸場の繰糸所(群馬県南西部・富岡市)。富岡製糸場は1872年(明治5年)に建設された日本初の本格的に機械化された製糸工場である。富岡製糸場はその後各地で建設された製糸工場の模範となった。1987年に操業停止したが、2014年には「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録された。なお、繰糸所(そうしじょ)とは、繭から糸の端つかみだし、糸を取り出す作業を行う場所である。出典:Wikimedia Commons, ©yellow bird woodstock from JAPAN, CC BY-SA 2.0, 2023/8/8閲覧

養蚕が中国から日本に伝わったのは弥生時代(紀元前10~紀元前3世紀頃)です。
7-8世紀には各地に広まり、奈良時代(710-794)の税金である租庸調(そようちょう)の「調」を絹で収める国もありました(例:武蔵国(現埼玉~東京~神奈川東部))。
ただし、本格的に普及したのは江戸時代以降です。
江戸時代(1603-1868)には武士や町人が絹の衣服を着るようになりましたが、当時の絹の多くは輸入に頼っていました。
そこで各藩は絹の生産を奨励し、農家が副業として養蚕を行うことが広まりました。

幕末に開国すると外国に生糸を輸出ができるようになり、養蚕の需要が増大しました。
明治時代(1868-1912)に入ると、殖産興業・富国強兵の方針の元、外貨獲得のために養蚕の近代化・機械化が進みました。
元々養蚕が盛んだった群馬県富岡市に富岡製糸場が建設され、フランスから生糸技術者のブリューナ(Paul Brunat, 1840-1908)を招いて技術を導入しました。
以降、日本の生糸の輸出量は急増して輸出総額の約4割にも達し、20世紀初頭には世界の生糸生産の60%を日本が生産するようになりました。

しかし、第二次世界大戦開戦で欧米に生糸を輸出できなくなった影響もあり、1930年代に登場した化学繊維に市場を奪われていきます。
生糸の輸出は戦後に再開されて一時期は輸出量が回復しましたが次第に減少に転じ、1975年には輸出量よりも輸入量が多くなりました。

戦後の日本では家で普段着として着物を着る習慣が失われていったことで、絹の需要自体も減少していきます。
現在では日本で絹の生産はわずかにしか行われていません。

富岡製糸場は1987年に操業を停止し、2014年には「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録されました。
現在では、使われなくなった各地の養蚕関連施設が文化遺産(近代化産業遺産)として認定され、保存・公開が行われています。

絹糸と絹織物

縦糸に青色、横糸にピンク色の絹糸を使用して織り込んだショットシルク(玉虫織)。絹は肌触りがなめらかで光沢のある繊維であり、古代から重用されてきた。カラフルな絹糸を使用した織物を錦(にしき)とよぶ。出典:Wikimedia Commons, ©User:Mattes, CC BY-SA 2.0, 2023/8/8閲覧

絹織物は肌触りがなめらかで光沢がある素材なのでドレスなどの高級な衣服に使用されてきました。
需要が高い一方で生物由来の絹糸を原料とするため大量生産が難しく、絹織物は高級な贅沢品として歴史の長い間王侯貴族・中産階級などに愛用されてきました。
現代では、石油由来の化学繊維の発明やプランテーションによる綿花(ワタ)の大量生産のおかげで安価な繊維が普及したため、絹の需要は減少しています。
しかし、今でも高価な着物には100%絹糸から作られるものがあり、正絹(しょうけん)とよばれています。
正絹は通気性・保湿性に優れ、光沢があり高級感のある着物ですが、水や日光に弱く、生物由来の材料であるため虫に食われやすいという欠点もあります。

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参考文献

養蚕業 ウィキペディア 2023/8/8閲覧
養蚕(ようさん)とは? コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ) 2023/8/8閲覧
絹 ウィキペディア 2023/8/8閲覧
Suzhou, Wikipedia 2023/8/8閲覧
Silk, Wikipedia 2023/8/8閲覧
シルクロード ウィキペディア 2023/8/8閲覧
History of silk, Wikipedia 2023/8/8閲覧
地理用語研究会編「地理用語集第2版A・B共用」山川出版社(2019)
パターソン (ニュージャージー州) ウィキペディア 2023/8/8閲覧
ナイロン ウィキペディア 2023/8/9閲覧
日本における養蚕 ウィキペディア 2023/8/8閲覧
繰糸所内部 | しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ 2023/8/9閲覧
富岡製糸場 ウィキペディア 2023/8/9閲覧
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