地球は球体であることはよく知られていますが、日常生活では平面の上で暮らしているような感覚をもちます。
このため、古い時代には地球が平面であると考えられていましたが、天体観測や科学技術の発展により、地球は球体であることが実証されています。
このページでは、地球の形に関する議論の歴史について、地球平面説と地球球体説にふれながらまとめます。
地球の形に関する議論の歴史
現代では地球の形は球体(厳密には赤道がふくらんだ楕円体)であることが知られています。
しかし、普段の生活では地球が丸いことを認識する機会はほどんどなく、むしろ地面は平らなものだと認識しています。
これは、人間のサイズに比べて、地球があまりにも巨大であるため、人間の目では平面であるように見えるためです。
そのため、古い時代には地球は平面であると信じられており(地球平面説)、天文学や数学、科学技術の発達によって地球が球体であることが証明されていきました。
以下では、古代における天文学の発達から地球平面説が否定されて地球が球体であることが実証されていく過程について解説します。
古代における天文学の発達
古代エジプトでは、天文学はナイル川の氾濫を予測する実用的な学問として最も古い時代から発達してきました。
ナイル川の上流にあたるエチオピア高原では、毎年6月に季節風(モンスーン)の影響で大雨が降り、その影響で下流のエジプトでも洪水が発生します。
この洪水は毎年決まった季節に周期的に発生して決まった時期に水が引いていきます。
洪水が引いた後には上流から運ばれた栄養分豊富な土が残され、その肥沃な土壌を使って農業を行うことでエジプトは豊かな文明を築き上げました。
このため、エジプトの人々にとって周期的におきる洪水がいつ発生していつ水が引くのかを予測することは生活に直結する極めて重要な問題でした。
しかし、エジプトは砂漠気候で四季が無いため、気温や降水量の変化から季節を感じ取ることはできません。
そこで、エジプトの人々は天体観測を行って、星の動きの測定と数学的な計算から1年という周期的な変化を割り出し、暦(こよみ)を作りました。
天体観測に基づく暦を使うことで、ナイル川の季節的な洪水を予測することが可能になり、農業生産など人々の暮らしに活用されました。
このように、古代の天文学は実用的な学問として発展してきました。
地球平面説の世界観
古代の天文学の発達に伴い、地球はどのような形をしているのかということに関心がもたれ、議論されるようになました。
古代メソポタミアの神話では、世界は海に浮かぶ円盤として描かれ、その上にドーム状の半球があると考えられていました。
地球があまりにも巨大であるため、人間の目では平面が続くように見えるためです。
このように、地球が球体ではなく宇宙に浮かぶ平面であるという考えを地球平面説といいます。
人間が目で見たときの感覚と一致するため、科学的な知識や観測技術が不足していた時代・地域では地球平面説は一般的な考え方でした。
しかし、観測技術の発達とそれに伴う科学的な知見に蓄積によって地球平面説は否定され、現代では地球は球体であることが広く知られています。
地球球体説の登場
地球が球体であるという説をはじめて唱えたのは古代ギリシャのピタゴラス(Pythagoras of Samos, 紀元前582-496?)だとされています。
ピタゴラスは船で陸地から遠く離れると海岸線が見えなくなるという観測事実と数学的な考察から地球が球体であると考えました。
このように、地球平面説に対して、地球が球体であるという考えを地球球体説といいます。
ピタゴラスの主張はすぐには支持されませんでしたが、地球球体説は天体観測の事実と合致することなどから広く知られるようになりました。
紀元前240年頃には、エラトステネス(Eratosthenes of Cyrene, 紀元前276?-195/194?)が地球一周の長さを40,000~46,000kmと計算しました。
実際の地球一周の長さ(全周)は約40,000kmなので誤差が最大でも15%程度であり、当時の観測技術や知識をふまえると驚異的な精度です。
地球が球体であることは様々な観測事実に合致するため、科学技術の世界では地球球体説を前提として測量や地図などの技術が発展してきました。
参考
中世ヨーロッパにおける地球球体説
中世ヨーロッパにおいても、地球球体説が変わらず信じられていました。
4世紀後半の西ローマ帝国の崩壊により古代ギリシャの科学論文の入手が難しくなり学問に影響が出ましたが、少なくとも知識人においては地球球体説が信じられていました。
中世ヨーロッパでキリスト教的価値観のもと地球平面説が信じられているという説は、現在では否定されています。
このような言説は、17世紀にプロテスタントがカトリックを批判するために広められた「神話」だと言われています。
中世ヨーロッパで作成された世界地図であるTO図(OT図、TOマップ、TO地図)が円盤状であることから、「中世ヨーロッパで地球平面説が信じられていた表れである」とされることがあります。
しかし、実際にはTO図は地球の半球(半分)の地域だけを描いた地図であるとされています。
当時は新大陸の存在が知られていないため、ヨーロッパから見た大西洋の向こう側には人が住んでいないと考えられていました。
また、アフリカやアジアの向こう側についても遠すぎるので想像で描かれているだけであり、これは近代以前の地図に共通する傾向です。
当時は、大西洋の向こう側へ行くことや灼熱(しゃくねつ)地帯の赤道を通り抜けることは不可能であり、その先には人が住んでいないと考えられていました。
球体の地球のうち、人が住んでいる側の情報を円盤状の地図に描いたものがTO図です。
大航海時代における地球一周
大航海時代の16世紀には、マゼラン(Ferdinand Magellan, 1481-1521)の艦隊が人類初の世界一周航海を成し遂げました。
地球球体説の提唱は紀元前ですが、技術的・金銭的・安全面などの困難さから長い間地球を実際に1周した人はいませんでした。
マゼランの艦隊が実際に地球一周を成し遂げたことで、地球が平面ではなく球体であることを実証できたと言えます。
地球の姿の撮影
第2次世界対戦後の1946年には、ロケットを飛ばして宇宙から地球を撮影することに成功しました。
上の画像は、その後の1954年に撮影された世界初の地球のカラー写真です。
地球が球体であることは紀元前からわかっていましたが、実際に地球の姿を目で見ることができるようになったのはごく最近のできごとです。
現在では、多くの人工衛星が地球の周りを周回しています。
気象衛星によって雲の画像が撮影したり、地表の温度を測定して地表にデータを送ることで天気予報の精度を高めています。
また、GPS受信機からの電波を受け取るGPS衛星も運用されています。
スマートフォンなどのGPS受信機を使って複数のGPS衛星との距離を測定することで、地球上で自分がいる場所を特定することができます。
このように、現代では宇宙から地球を観測して得られた地理情報の活用が広くを行われています。
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参考文献
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Timeline of the Magellan expedition, Wikipedia 2024/4/13閲覧
Timeline of first images of Earth from space, Wikipedia 2024/4/13閲覧
地理用語研究会編「地理用語集」山川出版社(2024)