地図の歴史は紀元前まで遡り、長い歴史の中で探検や科学技術の発展により正確で高精度な地図が描かれるようになりました。
現代ではスマートフォンの地図アプリ(Google Mapなど)を利用して誰でも高精度な地図を利用できるようになりました。
このページでは、紀元前に粘土板に描かれた地図から現代の人工衛星とコンピュータを活用したGPSやWeb GISまでの地図の歴史について見ていきます。
目次
地図の歴史
土地の状況を表した地図は文字よりも歴史が古いと言われています。
現存する最古の地図は紀元前6世紀頃に作成されたバビロニアの世界地図です。
古代ギリシャや古代ローマでは哲学を中心とした様々な学問が発達し、ピタゴラスによる地球球体説の提唱(紀元前6世紀)やプトレマイオスによる経線・緯線を用いた世界地図の作成(2世紀)が行われました。
15-17世紀の大航海時代になると、探検家が発見した新たな土地が地図に書き加えられ、それまで存在が知られていなかった南北アメリカ大陸が世界地図に描かれるようになりました。
その後も、新しい土地の発見や測量技術の発達により地図の精度は向上し、現実世界の形を正確に描けるようになりました。
20世紀後半になると、人工衛星を飛ばして地球の周囲を周回させ、宇宙から撮影した衛星画像を利用したり、測位衛星を利用した正確な位置の特定が行われ、地図の精度も格段に向上しました。
以下では、各時代の代表的な地図を紹介しながら地図の歴史について俯瞰していきます。
バビロニアの世界地図
地図は文字よりも歴史が古いとされ、最古の地図はわかっていませんが、各地の洞窟壁画などに描かれている地図が残っています。
現存する最古の地図は、メソポタミア文明が栄えたバビロニア世界地図(紀元前6世紀頃)です。
バビロニアの世界地図は、「世界地図」という名前に反して、バビロニア周辺(現イラクのユーフラテス川周辺)しか描かれていません。
バビロニア人に既に知られていたエジプトやペルシャ(現イラン)は意図的に省略されています。
当時のバビロニアでは既に測量に用いた正確な地図が作成されており、上の世界地図に付属する文章には都市間の距離に関する記述があります。
この時代は地球平面説が信じられており、世界地図は当時の人々の宗教的な世界観を反映したものでした。
地球球体説とプトレマイオスの世界地図
古代ギリシャ(紀元前8-1世紀頃)では、数学や天文学など様々な学問が発達しました。
紀元前6世紀の哲学者であるピタゴラス(Pythagoras of Samos, 紀元前582-496?)は、船で陸地から遠く離れると海岸線が見えなくなるという観測事実と数学的な考察から地球が球体であると考えました(地球球体説)。
人間の目で見える範囲では地球はほとんど平面に見えるため、それまでは地球は平面であると信じられていました(地球平面説)。
しかし、地球球体説は天体観測の事実と合致することなどから広く知られるようになりました。
2世紀になると、古代ローマのプトレマイオス(Claudius Ptolemy, 100頃-170頃)が地球球体説に基づいた世界地図を作成しました(プトレマイオスの世界地図)。
プトレマイオスの世界地図では、以下の3点が画期的でした。
・地図上の各地点の位置を天体観測に基づいて特定
・地球を360°に分割した経線と緯線を使用
・球体の地球を平面である紙の上に描く地図投影法を発明し、円錐図法を使用して地図を作成
プトレマイオスの世界地図は、地球の全周360°のうちアフリカ大陸北岸とユーラシア大陸の経度120°相当(スペインー中国間)の範囲を描いた世界地図です。
当時の地中海の人々に知られていない南北アメリカ大陸は描かれていません(サハラ砂漠以南のアフリカとオセアニアも同様)。
プトレマイオスは現在でも使用される概念(経線・緯線・地図投影法など)を発明しており、その世界地図はのちの時代まで高く評価されました。
中世ヨーロッパにおいてキリスト教的な価値観の下、地球平面説が支持されたという言説がありますが、現在では誤りであることがわかっています(詳細はこちらを参照)。
プトレマイオスの世界地図は大航海時代(15-16世紀頃)まで最も権威あるものと考えられ、コロンブス(Christopher Columbus, 1451-1506)やマゼラン(Ferdinand Magellan, 1481-1521)がアジアへは西回りのほうが近いと信じ、西回りで探検を行う動機になったと言われています。
ただし、プトレマイオスの世界地図にも欠点があります。
当時は遠隔地の状況を知るのが困難であったため、ヨーロッパから離れた場所は想像で描かれています。
また、東西に広がるユーラシア大陸が実際には経度120°相当(スペインー中国間)であるのに対し、プトレマイオスの世界地図では経度180°相当で描かれています。
この原因は、遠隔地である東アジアの地形がわからなかったことに加え、当時は正確に時を刻む時計が発明されていなかったため、東西の距離を正確に把握できなかったという要因があります。
正確に時を刻む時計があれば、時刻をそろえた複数の時計を使用して各地で日の出や日の入り時刻測定することで二地点間の東西の距離が地球一周の何分の一に相当するかを計算できます。
しかし、このようなことが可能になるのは17世紀になってからです。
参考
コロンブスによる新大陸発見の偶然
大航海時代の1492年にコロンブスが西回り航路でアジアへ向かおうとしたのも、実はプトレマイオスの世界地図を信じたがゆえの行動です。
プトレマイオスの世界地図は、ユーラシア大陸の東西の大きさを過大に見積もっていました。
コロンブスはそのようなプトレマイオスの知見をベースに様々な書物を研究して西回りでのアジアまでの距離を計算した結果、アジアへの距離をさらに短く推定してしまいました。
そのため、南北アメリカ大陸の存在を知るよしもないコロンブスは西回り航路でアジアに到達できると考えました。
コロンブスによりユーラシア大陸東岸があると推定された場所に、たまたま未知の新大陸(南北アメリカ大陸)が存在していたことが、新大陸発見につながります。
大航海時代の探検と測量(べハイムの地球儀)
15世紀から17世紀にかけてヨーロッパ各国による遠隔地への大規模な探検・征服が行われた時代を大航海時代といいます。
この時代には、各地への探検・測量により今まで地理情報がわかっていなかった遠隔地の情報が入手できるようになりました。
そのような中、1492年にドイツのマルティン=べハイム(Martin Behaim, 1459-1507)によって当時の知見を元に地球儀(エルトアプフェル、意味は「大地のりんご」)が作製されました。
地球儀自体の歴史は古代ギリシャ(紀元前3世紀)にさかのぼりますが、現存する最古の地球儀はべハイムが作製したものです。
当時は大航海時代でアフリカ大陸沿岸の探検が進んでいた時代であり、プトレマイオスの世界地図では描かれていなかったサハラ以南のアフリカの地形が描かれています。
一方、コロンブスによる南北アメリカ大陸発見直前であるため、南北アメリカ大陸は描かれていません。
大航海時代の探検が進むにしたがって、各地の位置関係や地形が明らかになり、より正確な世界地図が描かれるようになっていきました。
航海の目的も未知の土地の発見だけではなく測量と地図作成などを目的とするようになっていきました。
1773年にヨーロッパ人初の南極圏到達(南極大陸は発見できず)を成し遂げたイギリスの海軍士官クック (Captain James Cook, 1728-1779)も測量と地図作成を目的とした航海を行っています。
このように多くの探検家が何世紀にもわたって、未知の土地の発見と測量、地図作成を繰り返して行った結果、地球の地形の全体像が明らかになっていきました。
羅針盤の実用化とポルトラノ海図
昔の航海では大海原の真ん中で自分の現在地を知るのは難しく、荒波の中で自分が向かっている方向さえも確認するのが大変でした。
方角を特定する方法として、天体観測により方角を確認する天測航法が古くから使われていました。
しかし、曇りや雨の日が続くと天体観測が行えず、陸地から遠く離れた場所の航海は遭難と隣り合わせでした。
11世紀の中国では、水に磁石を浮かべると北を指す方位磁針(羅針盤)が実用化されました。
羅針盤は中東を経てヨーロッパに伝わり、12世紀終わりには地中海の航海でも使われるようになりました。
これに合わせて、羅針盤を使った航海用にポルトラノ海図とよばれる地図が作製されるようになりました。
ポルトラノ海図では、360°を8/16/32方位に分割し、それぞれの方角がわかるように地図上に何本もの補助線を引いた地図です。
ポルトラノ海図で目的地の方角を確認し、羅針盤を使って船が進む方向を一定に保ちながら進むことで、確実に目的地付近にたどり着けます。
メルカトル図法
大航海時代に未知の場所への探検が進むに合わせて、測量や地図作成の技術も発展していきました。
1569年にフランドル(現ベルギー北部)のメルカトル(Gerardus Mercator, 1512-1594)は、メルカトル図法を用いた世界地図を作成しました。
メルカトル図法は、全ての緯線と経線が直角に交わり、角度が正確に表現できる地図を作成できる地図投影法です。
メルカトル図法の地図を使うと、出発地と到着地の緯度と経度がわかれば、船が進む方位を一定方向に保ちながら航海することで目的地にたどり着くことができます(等角航路)。
このような航路は二地点間の最短経路ではありませんが、確実に目的地に到達できます。
それまでの航海は遭難と隣合わせでしたので、メルカトル図法の地図は航海の安全性を高めました。
大日本沿海輿地全図(伊能図)
大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず、伊能図)は、江戸時代後期に伊能忠敬(1745-1818)が中心となって作られた日本初の実測の全国地図です。
当初は私財を投じて南蝦夷地(北海道南岸)の測量を行いましたが、その測量成果が幕府に高く評価され、途中から幕府の事業として実測の全国地図を作製することになりました。
1800年から1816年にかけて全国の海岸線を徒歩で測量し、その測量結果を元に作製されました(1821年完成)。
測量では長さを測るために一定間隔で印をつけた縄(間縄、けんなわ)を利用したり、歩幅が変わらないように歩いて歩数から距離を測定しました。
曲がり角では方角を測り、方位も正確に測定しました。
さらに、夜間は天体観測により現在位置を特定し、昼間の測量結果の補正を行いました。
伊能図は高く評価され、江戸時代後期から明治時代にかけての地図は伊能図を元に作製されました。
現代の世界地図
現代では、気象衛星が撮影した地表の状況を衛星画像から確認したり、測位衛星(GPS衛星など)を利用して地球上の現在位置を正確に把握することができます。
世界地図も目的に応じて様々な地図投影法が利用されています。
コンピュータを利用したGISでは、地図の縮尺を連続的に変更できる上に、地図を動かすことで世界各地の様々な縮尺の地図をスムーズに閲覧できます。
2000年代に入るとインターネットを利用したGISであるWebGISが普及しました。
現在ではスマートフォンの地図アプリ(Google Mapなど)などを通して多くの人が日常的に利用しています。
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参考文献
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Globe, Wikipedia 2024/5/9閲覧
地理用語研究会編「地理用語集」山川出版社(2024)
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羅針盤(ラシンバン)とは? コトバンク 改訂新版 世界大百科事典 2024/5/18閲覧
History of the compass, Wikipedia 2024/5/18閲覧
メルカトル図法(メルカトルズホウ)とは? コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 2024/5/9閲覧
Rhumb line, Wikipedia 2024/5/9閲覧
なぜ、メルカトル図法は全世界に普及したのか? 国土地理院 2024/5/9閲覧
大日本沿海輿地全図 ウィキペディア 2024/5/12閲覧
連載 伊能忠敬 一般社団法人 東京都測量設計業協会 2024/5/12閲覧
「伊能図」完成から200年 国土地理院 2024/5/12閲覧
伊能図(いのうず)とは? コトバンク 改訂新版 世界大百科事典 2024/5/12閲覧
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